Posted on 12/02/2015 at 16:05, by nonaka

宮崎の杞柳細工の歴史-11

宮崎の杞柳細工の歴史-11

教会メンバーのサポート

農業は不慣れなため悪戦苦闘の連続だった。10年間放置された土地の草を刈り、草を集めた。農機具を持っていなかったために子供たちはおもちゃを使って、大喜びで作業を手伝ってくた。イチゴを食べながら栄養補給をし、喜びに満ちて作業を終えました。それから農家の知人にトラクターで耕耘してもらった。むき出しになった、直径10cmほどのクズの根を引き抜くのに悪戦苦闘した。大きな石がたくさん入っていたため石拾いをし、それからマルチを一週間係りで妻と二人で貼った。その後500本の苗を挿し木し、隣にある用水路からバケツで水を汲み、子供達と一緒に水やりをした。それらの様子を見かねた近所の農家の方がアドバイスをしてくださり、本当に助かりました。「素人は恐ろしいことを考える」と苦笑いしながら励ましてくれた。道具を何も持っていないことにそのように感じたようであった。その後ヘルニアが再発し、十分に作業ができなくなった。500本の苗はスクスク成長し教会のメンバーが芽摘みを手伝ってくれた。

Posted on 12/02/2015 at 15:51, by nonaka

宮崎の杞柳細工の歴史ー10

宮崎の杞柳細工の歴史ー10

コリヤナギを育てる「農業の試行錯誤」

  • 2012年4月豊岡からコリヤナギの苗を20本購入し安井さんの畑に植え、育つか試験的に育てる。宮崎で育つことが確認される。
  • 2013年4月安井さんの畑から高橋さんの畑に植え直す
  • 2013年6月安井さんの畑に残ったコリヤナギの苗を採取に行く。当時の柳の木が残っていた。
  • 2013年11月。話し合いの結果、農業は高橋さんから野中が引き継ぐことになる
  • 2014年3月木花運動公園駅裏に1、5反の土地を借り、500本豊岡から購入し、農業が始まる
  • 2015年1月に収穫し2月に500本挿し木する。合計1,000本
Posted on 12/02/2015 at 15:38, by nonaka

宮崎の杞柳細工の歴史ー9

宮崎の杞柳細工の歴史ー9

2012年10月杞柳細工を教わる

脳血栓のため不自由にな2012年10月杞柳細工を教わるった体に手を置き「イエスのみ名で癒されよ」と祈り続けた。体が癒されき杞柳細工技術をマンツーマンで教わる。この時野中(宮崎いのちの水きりすと教会牧師・林学(教会メンバー)の3人でスタートする。

Posted on 12/02/2015 at 15:33, by nonaka

2012年10月2日・決意から一年後初窯を迎える

2012年10月2日・決意から一年後初窯を迎える

安井早智子さんからの復興の手順の聞き取りと様々な雑用の後、ようやく初窯を迎える

Posted on 12/02/2015 at 15:25, by nonaka

前途多難のスタート

安井さんの脳梗塞のため言葉もなかなか聞き取れず、体も右半分が麻痺していた。復興に必要な型づくりの話をいくら聞いても全く理解できなかった。また、もう8年もブランクがあり、体も自由が利かなかったため、毎週足に手を置いて「イエスのみ名で癒されよ。」と祈り始めた。結果体が少しずつ癒されていった。

  • 材料がない。材料がなければ作業はできないので、材料の確認から始まった。「炊きものにして燃やした」と言っていたが、大量の柳がブルーシートの中に眠っていた。
  • 型枠がない。何を作れば良いのかわからない。そのため、久能さん(もやい工芸)に電話をし、何を作れば良いか?どのようなトラブルが予想できるのか?アドバイスをもらたった。
  • 道具がない。「とじ」と呼ばれる道具や、竹で作られた留め具などが見つかる。
  • 窯の修理が必用。窯を掃除し、サビを落とし、ボイラーを付け、窯が使えるようになった。
  • お金がない。大分県佐伯市に住むクリスチャン・相良サカエさん娘の相良響子さんが、生命保険を解約しそのお金を捧げてくれた。もう無理というようなことは毎日起こった。もうやめようか?と途方に暮れることも何度もあった。しかし、イエス様のみ心なら必ず道は開かれる。という信仰のみで歩んでゆく。
  • 2012年10月2日:初窯決意から1年経過
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